クリスタルシュガー

最近については何があったというよりも、日常の日々のルーティンのようなものが太い柱で自分を取りなしているようで、だから深夜2時に目を覚まして聴こえてくる隣の部屋からのTVバラエティの音に意表を突かれた気分になる。飲んだ珈琲の深みや食べたご飯の沁み具合の細やかな変化に注意を払わず1日という単位をひたすら繰り返しているんだ実はそうなんだよと言うとそれは病的にもちろん病的に聞こえるが、YesかNoかと訊かれて"楽しいYes"と答えるくらいには充実した毎日を送っていることを傲慢でも謙虚でもなくただそこにあるあと1週間の夏休み。「鳥籠の中の自由」のような、所詮は鳥籠の中で飼われた鳥だという言葉が別の鳥籠から飛んでくるような気。閑話休題三顧の礼という故事成語があるように何にしても3度目というのは力を持つようで、はっきりとした目的意識を常ながら持ち続けた3年の夏休み。生命の死のような抗えない、けど抗いたいものを大学生の夏休みに見出し必死で遊ぶ様子は儚くて綺麗で、2ヶ月というたっぷりと時間はあるようで何かを成し遂げようとするには足りない一瞬の時間が、それは刹那という言葉を充てるのが相応しいけれどそうしたくない頑なでしどろもどろな気持ちがある。小学生。中学生。高校生。もう二度と戻らない時間という点で一種の死を生きながらにして既に連続して体験?体得?しているという確信を持っている。それは人間の「顔」の部分にも如実に現れ、時間→、老→という基本的な方程式に則り、毎日鏡で見ていると分からない些細な変化でも1年、2年経って写真なんかを見返すと随分変わったと感心する。こんな抽象的な話ばかりではよく理解し難い工学の座学と大差ない、ので最近はクリント・イーストウッドにハマり「ガントレット」「パーフェクト・ワールド」を観たという話。