光陰

よく冷えた牛乳が緩んだ頭をキュッと締める。給料日の金曜日。毎度毎度、給料をどうにかして全部使おうとしているのが阿呆らしいことにようやく気づいた。スニーカーやポシェット、下着など持っていなかったり寿命が切れたりしているもの。その中で必要なものを揃えたいが、大半が無くても生きていけるような絶対生きていける自信がある。物事の判断基準が生きるか死ぬかになっている状態はなかなかに切羽詰まっているかどうかしていると思う。後者では無いことを願って夜のバイトに向け仮眠を取る。

リトルマック

素面が0でハイが1なら3/4で、疲れている体に相反して冴えた頭は睡眠を取ることを推奨していないらしく意識が落ちない。昨日の晩ごはんは何だったか思い出せるかという記憶力を測る質問があるが、答えられない程に毎日ぼんやりとしている訳ではなく、体を張って時間→お金を積み上げ、お金→?の方程式に当てはまるものは人それぞれ違うけれど、俺の場合は飯だったり酒だったりが殆どで、一見泡のように消えて勿体ないように見えるが、事実大半以上が勿体ないのかもしれないが、自分の精神に投資していると捉えると、それで精神的に豊かになるのなら是非望むところだといった感じ。時間(体)→お金の問題点は、体力には限界があるということで、心身ともに蓄積された疲労は余裕を奪い、余裕というのは非常に大切なもので、適切な余裕を持ち続けられるのは幸せなことで、これまではあると思っていたそれが徐々に欠けていっていて、会話の口調や行動、思考パターンに顕著に現れる。だから何が言いたいのかというと、詰めて働くことは、アルバイトをすることは却って毒だということで、過ぎたるは及ばざるがごとしという諺があるように。幾つかの目的を達成するために、やりたいことの為にせっせとアルバイトをするという方法を取ったのだから、アルバイトをすることが目的にならないように、自問自答を繰り返す。現状としては、数え上げるとキリがない先行きの見えない馬鹿げた不安を便所に流してやるくらいの勢いはあって、精神的に参っているところはなく、意地を張っているという訳でもなく、自分が頑固だということや物事の優先順位をつけるのが自分本位だということを認めているが、強いて言うなら1日何も予定が無い日が欲しいということで。Youtubeで洋楽を漁っている時間、好きだった時間はここしばらく無い。

付き合いがもう3年近くなる友達とのトーク履歴をふりだしに戻って見返す。予想を下回り、会話という会話は少ない。大体が飲みや遊びの誘いなどの短いトーク。会っているときの時間を楽しむ何よりな精神。世間一般的に決して数多いとは言えないだろう限りある私の友達とどうして馴れ初めたか、仲良くなったか。自然にだったと言いたいけれど、殆どが相手の差し出した手を遮二無二握り返してきたような感じ。竜宮城で暮らす浦島太郎さながらにそれはそれは目まぐるしい日々。寝て朝目を覚ますとそこは墓の中だった、としても笑える1日。昨日も明日も。今日も明後日も。

クリスタルシュガー

最近については何があったというよりも、日常の日々のルーティンのようなものが太い柱で自分を取りなしているようで、だから深夜2時に目を覚まして聴こえてくる隣の部屋からのTVバラエティの音に意表を突かれた気分になる。飲んだ珈琲の深みや食べたご飯の沁み具合の細やかな変化に注意を払わず1日という単位をひたすら繰り返しているんだ実はそうなんだよと言うとそれは病的にもちろん病的に聞こえるが、YesかNoかと訊かれて"楽しいYes"と答えるくらいには充実した毎日を送っていることを傲慢でも謙虚でもなくただそこにあるあと1週間の夏休み。「鳥籠の中の自由」のような、所詮は鳥籠の中で飼われた鳥だという言葉が別の鳥籠から飛んでくるような気。閑話休題三顧の礼という故事成語があるように何にしても3度目というのは力を持つようで、はっきりとした目的意識を常ながら持ち続けた3年の夏休み。生命の死のような抗えない、けど抗いたいものを大学生の夏休みに見出し必死で遊ぶ様子は儚くて綺麗で、2ヶ月というたっぷりと時間はあるようで何かを成し遂げようとするには足りない一瞬の時間が、それは刹那という言葉を充てるのが相応しいけれどそうしたくない頑なでしどろもどろな気持ちがある。小学生。中学生。高校生。もう二度と戻らない時間という点で一種の死を生きながらにして既に連続して体験?体得?しているという確信を持っている。それは人間の「顔」の部分にも如実に現れ、時間→、老→という基本的な方程式に則り、毎日鏡で見ていると分からない些細な変化でも1年、2年経って写真なんかを見返すと随分変わったと感心する。こんな抽象的な話ばかりではよく理解し難い工学の座学と大差ない、ので最近はクリント・イーストウッドにハマり「ガントレット」「パーフェクト・ワールド」を観たという話。

 

レーザー脱毛

木太町に店を構えるインド料理店プジャ。本日のカレーはこちらで頂く。ナンにシシカバブの乗ったカレーセット。日替わりカレーとセレクトカレーの2種。普段あまり食べることのない豆バターを選ぶ。日替わりカレーはカボチャ。秋だな。ちなみにシシカバブとはぶつ切りにした肉の串焼き料理のことらしい。よくあるインドカレー同様美味くて辛くて辛い。ナンもカレーも熱くて辛いできたての内が1番味がのっていて、口の中でホクホクさせながら咀嚼する。カレーはナマモノ。ハーフナン1枚おかわり無料の記載通りにおかわりする。冷めつつあるカレーとナンを容赦なく胃にぶち込む。お腹いっぱい、野口にお釣りが返ってくる高コスパ。ごちそうさまでした。そこから自転車で2分のところにあるカフェ&サイクリング店で休憩。オーガニックホットコーヒーを頂く。店には普段から仲が良いのだろうサイクリング仲間が5、6人集っていて、初めて行くbarで味わうような疎外感を食らう。今日はたまたま多くのサイクラーが店に寄っていて内輪感が強かったこと申し訳ない、とお会計後にしばしば店主と話す。人の良い店主で良かったホッとしたという感じであり、気持ちは”また来たい“の手前で留まる。味は二の次人柄第一なところがbarやコーヒーショップにはある。相も変わらず胃のキャパシティを把握せぬまま満腹となったため本日の開拓は終了。安く多くの量を食べられることから、質の高いものを多く知ることへ食へのこだわりがシフトする。f:id:yuma_a:20210912160059j:image